At the end of the movie “Saving Private Ryan”, [image] private Ryan says to his wife: “Tell me I’ve lived a good life. Tell me I’m a good man.”
プライベートライアンという映画の最後の場面で、二等兵だったライアンが彼の妻にこう言います。「私は良い人生を送っているよね?そうだと言ってくれ。」「私は良い人間だと言ってくれ。」
In the movie “Elephant Man”, Dr Treves [image] , questioning his own motivations, asks his wife: “Am I a good man, or am I a bad man?”
エレファントマンという映画の中では、トレベス医師が、自分のしていることを確かめたくて、彼の妻に「私は良い人間だろうか?それとも悪い人間だろうか?」と聞きます。
Lisa Bevere [image] , the wife of Christian writer John Bevere, had an abusive, alcoholic father.
これはリサ、べビアです。クリスチャン作家であるジョンべビアの妻です。リサには虐待をはたらく、アルコール中毒症の父がいました。
She couldn’t stand him.
リサはそんな父がいやでたまりませんでした。
When visiting him on his deathbed in the hospital, she prayed to God and asked Him what she should say to this monster of a man.
リサは病院で父の臨終の床で、「一体この怪物のような人に何を言えば良いのか教えてください。」と神に祈りました。
The Holy Spirit said: “Tell him he was a good dad.”
聖霊は、「彼に、あなたは良い父親でしたよと言いなさい。」と言いました。
She protested to God: “That’s a lie!”
リサは「それは嘘です!」と反対しました。
The Holy Spirit spoke again: “He was as good as he knew how to be.” She held his hands, looked into his eyes and told him that he was a good dad.
しかし聖霊は再びリサに話します。聖霊は「彼はどうすれば良い父親になれるのかを知っていたのだからそれだけで十分良い父親です。」とリサに言いました。そしてリサは彼の手を握って目を見つめ、「あなたは良い父親でしたよ。」と言いました。
He shook all over, cried like a baby, kissed her hands and was a changed man.
父親はまるで別人のように全身を震わせて、赤ちゃんのように泣き、リサの手にキスをしました。
There is a deep desire in the heart of man to be good.
人の心には良くなりたいという強い望みがあります。
No matter what appears on the outside, no matter how proud or hard-hearted or evil people might seem to be, there is a deeper desire for people to want to be good.
外見からはどのように見えても、たとえ奢り高く、悪魔のような人に見えても、人には良くなりたいという強い望みがあります。
And to be affirmed by others as good.
そして他の人々に良い人だと認めてもらいたいと思っています。
Our theme for this year is ‘In Christ’.
今年の私たちの教えのテーマは「キリストにあって」でした。
We want to know what that means.
私たちはそれがどのような意味なのかを知りたいと思います。
We want to know how being ‘in Christ’ changes our lives.
私たちは「キリストにある」ことがどのように私たちの人生を変えるのか知りたいと思います。
We want to know how being ‘in Christ’ makes us truly good people.
私たちは「キリストにある」ことがどのように私たちを真に善き人にしてくれるのか知りたいと思います。
It might not be what you think.
それはあなたが想像しているのとは違うかもしれません。
We are studying the book of Romans to help us answer these questions, to come nearer to God and to come to a maturity in Christ.
このような質問に応えるために、そして神により近くなり「神にあって」成長できるように、私たちはローマ人への手紙を勉強しています。
Today we continue at Romans 2:5-11
今日はローマ人への手紙2章の5節から11節を読んでいきましょう。
Is there anything in this passage that strikes you as odd?
この聖書の節を読んで、おかしいな、変だなと気づきませんか?
Eternal life does not appear to be the gift of Christ.
永遠の命はキリストの賜物であるというふうには書かれていません。
Paul says very clearly here that eternal life is the reward for those who persist in doing good.
パウロは永遠の命は耐え忍んで善行を行った者にだけに与えられると言っています。
Well, spoiler alert, in the very next chapter Paul gives his famous statement of faith that all good protestants like to quote:
実は、このすぐ後の章で、パウロは、全ての良き教徒を代表して、信仰についてこう表現しています。
and
What are we to make of this?
このことをどのように解釈すれば良いのでしょうか?
Is eternal life the gift of faith in Christ, or is it the reward for a good life?
永遠の命はキリストを信じることによって与えられる賜物でしょうか、それとも良い人生を生きた報酬でしょうか?
When Paul is teaching about those who live a good life being rewarded with eternal life, he is stating a general spiritual law, a truth that applies to both Jews and Gentiles, to show that God shows no favouritism.
パウロが良い人生を送った者に、報酬として永遠の命が与えられると教えを説いた時、彼は霊的な法則を作りました。それはユダヤ人と異邦人に対して、神はえこひいきをしないという真理を示す法則でした。
The general law, that truth is that all those who are good will inherit eternal life.
(一般法則とは、良い人は皆、永遠の命を受け継ぐということです。)
その法則とは真理です。それは良い人は皆、永遠の命を受け継ぐという真理です。
There is, however, one big problem with this truth.
しかしこの真理には大きな問題があります。
Can anyone tell me what it is?
誰かその問題が何だか、わかる人はいますか?
The problem is that although this is true, there is no-one who is good.
それは事実ですが、問題は良い人は誰もいないということです。
Despite all people having a deep and earnest desire to live a good life and to be affirmed as having lived a good life, no-one is actually capable of living a truly good life.
人々が心のそこでは良い生活を送りたい、良い人になりたい、そして他の人に良い生活を送っていると認めてもらいたいと思っているにも関わらず、実は、誰一人として良い生活を送っている人はいないのです。
And this is an area of enormous deceit for many people who believe that they are capable of living good lives, including many professing Christians.
自分がクリスチャンであると公言している多くの人々も含め、良い人生を送れていると思っている人々は、実は「大きな嘘」に陥っているのです。
Ray Comfort [image] is a street evangelist from New Zealand who ministers in the U.S. and one of his prime means of spreading the gospel is to ask people this very question:
レイコンフォートはニュージーランドの出身で、アメリカの路上にて、様々な質問を人々に問いかけることによって宣教活動をしてる人物です。
“Are you a good person?” “あなたは良い人ですか?”
People typically respond by answering, “Yes!” Ray then puts them to the test.
人々の典型的な答えは「はい」です。そしてレイはもっと質問をし、人々を試していきます。
He asks them if they have ever lied.
レイは聞きます。「今までに嘘をついたことはありますか?」
They have. [image]
嘘をついたことはありますよね。
He asks if they have ever stolen anything (however small).
レイは聞きます。「たとえ小さなものでも、今までに何か盗んだことはありますか?」
They typically have. [image]
盗んだことはあるでしょう。
He asks them if they have ever used the Lord’s name in vain.
レイは聞きます。「今までに軽々しく神の名を使ったことはありますか?」
They have (usually too many times to count).[image]
何度もあるでしょう。
He asks them if they’ve ever looked at a woman (or a man) with lust.
レイは聞きます。「今までに女性や男性を性的な欲望を持って見たことはありますか?」
They have. [image]
ありますね。
He states back to them their own confession: that they are a lying, thieving, blasphemous, adulterer at heart.
そして、レイはそれらの答えを人々の告白に変えて話します。「彼らは嘘つきで、盗人で、神を冒涜する、姦淫をはたらく人々である。」というように。
He asks them again if they believe they are really a good person.
レイはもう一度人々にこう聞きます。「あなたは自分のことを良い人だと思いますか?」
The answer is now clear.
答えはもう明らかですね。
No! 「いいえ。」です。
Ray then goes on to share with them the gospel of Christ and how forgiveness and new life are available to them by repenting and turning to Christ in faith.
そしてレイは 人々に神の福音を話し始めます。神の福音がどれほど罪を許してくれて、キリストへの信仰と悔い改めることによって、人々に新しい人生が待っているということを伝えます。
You can watch Ray’s videos on Youtube if you’re interested.
みなさん、興味があればレイのビデオはユーチューブで見ることができます。
What Ray does in his ministry is help people to see the truth of the human condition.
レイが彼の宣教の中でしていることは、「人間についての事実を知る」ことを人々に教えています。
Only the good receive eternal life; but, there is no-one who is good.
良い人だけが永遠の命を受けるのですが、良い人はいないのです。
Everyone is sinful.
誰もが罪人なのです。
Whether they grew up with God’s law or without God’s law, no-one is righteous or good before God.
たとえ、あなたが神の法則で育っていても育っていなくても、誰一人として正義を持ってはおらず、神にとって良い人間はいないのです。
Paul goes on to talk about this in some detail through the rest of chapter 2 and into chapter 3 before coming to this conclusion:
パウロは次の結論に達する前に、2章の残りの部分と3章にかけて、こう話を続けます。
He goes on to quote from the Psalms:
パウロは詩篇から次のように引用しています。
There is a deep desire in the heart of man to be good, and to be affirmed as good.
人の心には良くなりたい、そして良いと認められたいという強い望みがあります。
Paul is not helping us with this desire.
パウロは私たちの強い望みを叶えるのを助けてくれるわけではありません。
He’s actually making things worse.
パウロは実際は、私たちにとって事態を悪くしているのです。
He’s not giving us the good news that we want to hear.
彼は、私たちが聞きたがっているような福音を聞かせてはくれません。
He’s giving us bad news. Or is he?
パウロは悪い知らせを私たちに伝えています。本当にそうでしょうか?
If you go to a doctor [image] and he discovers that you have a deadly but treatable disease and he tells you, “You’re fine! Go in peace and have a nice day!”
もしあなたが医者にかかって、死に至るような重病だが、治すことはできるという病気にかかっていても、その医者があなたにこう言ったならどうでしょう?
“大丈夫です。安心してお帰りください。”
Has he given you good news? No!
そんな医者はあなたに良い知らせを伝えていますか?いいえ!
Because he’s just sent you away to your death.
なぜならその医者はあなたを治そうとはせず、追い帰しているからです。
Surely good news is the truth: you’re very sick but now a new drug from the pharmaceutical companies has become available and the government testifies that it’s safe and effective for all who take it, and best of all, it’s free! Isn’t that good news!
確かに福音は真実なのです。
あなたはとても重病ですが、製薬会社のこの新しい薬が服用可能になり、政府も薬の安全性を確認しましたし、どんな患者にも効く、最高の薬です。その上に無料です。
そんな特効薬が福音なのです。良い知らせだとは思いませんか?
That’s exactly the news Paul brings us:
それがまさしくパウロが私たちに伝えた知らせです。
As it says here, God makes people right, God makes people good through their faith in Jesus Christ.
ここに言われているように、神が人々を義とします。神が人々を正しくしてくださいます。
神は人をイエス・キリストを信じる信仰を通して良しとされます。
I hope you can appreciate what this means.
この意味をありがたく受け止めてください。
It means next time your wife says, “Be a good hubby and take the rubbish out” we can say “No, no, you’ve got it all wrong.
もしあなたが妻に「良い夫ならゴミを外に出してください。」と言われて、あなたが妻にこう言ったならどうでしょう。
「もう神によってすでに良い夫になっているから、いやだ。君は大きな勘違いをしているよ。
You see I’ve been made good in Christ so I don’t need to take the rubbish out to be good.
私はキリストによって良い人になったのだから、ゴミを外に出さなくても良い夫になれるんだよ。
I don’t need to help you with anything to be good.
もう良い人、夫になるために、君にこれ以上、何もしてあげなくてもいいんだよ。
I don’t need to speak kindly.
君に、優しく親切に話す必要はないし、
I don’t need to be patient or gentle or loving.
我慢をしなくても、穏やかにならなくても、愛情深くならなくてもいい、
Because I’m already good!”
なぜなら、僕はもうすでに良い人だからだ。」
The Bible has some choice words for those who think like this.
聖書は、このような考えを持っている人を次のような用語で表現しています。
“Cretan” 愚か者, lazy glutton なまけ者の食いしんぼう, troublemaker よこしまな人 and son of wicked and rebellious woman! 心の曲った、ひどい女が産んだ子 などと表現しています。
Paul addresses this very issue in the same chapter:
神に良い人にしてもらったから良い行いをしなくてもいいのだという間違った考えについて、パウロは同じ章で次のように書き表しています。
The goodness in our practical everyday lives must mirror the goodness that we have been legally granted in Christ.
私たちの日常生活における善は私たちがキリストにあって正式に与えられた善を映し出していないといけません。
So we love our spouses, children, parents, workmates, friends and neighbours just as we love ourselves and we carry each other’s burdens to fulfill the law of Christ.
私たちは自分自身を愛するように、夫や妻、子どもたち、両親、仕事仲間、友人、隣人を愛します。そしてキリストの律法を果たすために互いの重荷を負いあうのです。
There is a deep desire in the heart of man to be good, and to be affirmed as good.
人の心には良くなりたい、そして良いと認められたいという強い望みがあります。
We are declared ‘good’ in Christ when we receive him by faith into our lives. We are affirmed ‘good’ by others when we love them as Christ loves us.
私たちはキリストを信仰によって受け入れるとき、キリストにあって‘良い人’とされます。キリストが私たちを愛するように私たちが人を愛するとき、私たちは人に‘良い人’と認められます。
Next week we will go on to look more at this relationship between righteousness and character.
次週は「義」と「性格」の関係性についてお話ししましょう。
Pray.