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Service As Devotion (Romans 12:1-8)

INTRODUCTION

We often define “devotion” as “loyalty”, “commitment”, and even “worship” if we’re talking specifically about our relationship with God.
私たちは「信心する」という言葉をよく「忠誠心」だとか、「決意」や「崇拝」することなどと表現します。それが神様との関係を示している時はとくに「崇拝」するという表現を用います。

In fact, the dictionary defines “devotion” as: Ardent, often selfless affection and dedication, as to a person or principle.
実際には、辞書には「信心、とは献身、専心、傾倒、深い愛情、熱愛、時間・努力などを人や基本理念に向けること、とあります。

And in our Christian faith context, we may further define it as “an act of religious observance”, i.e. praying, singing praise music, reading and hearing the Word of God, etc.
そして、わたしたちクリスチャンの信仰的な意味で言うと、 信仰心を表す行動を考察するというように、意味深く考えられすぎています。たとえば、お祈りすること、賛美歌を歌い賛美すること、神様の言葉に関する書物を読んだり、聞いたりすること。などです。
But to link “devotion” with “service,” as today’s sermon title states, may initially seem like a stretch.
しかし、 少しこじつけになるかもしれませんが、今日は、信心と奉仕を関係つけて話していきたいと思います。

Not so. The NIV Bible Dictionary defines “service” in our faith context as: Active devotion to God, as through good works.
奉仕という言葉はNIBの聖書の中では、 神への信心を良い行いで表すこと、と説明されています。

We also regularly refer to a worship event as a “service,” because it was historically understood that a worship event involved the service of the priests.
また、わたしたちはよく、礼拝のイベントのことを「奉仕活動」と言ったりします。
このことは、歴史的に牧師達の奉仕活動が教会の礼拝と深く関わっていたことからきています。

Thus, in our Christian faith context, “service,” “devotion,” and “worship” are interchangeable terms. ですから、クリスチャン信仰においては、“奉仕”、“献身”、“礼拝”は互いに置き替えられる言葉です。

And today’s Bible passage further sheds light on the connection between these three words.
そして、今日の聖書の箇所はから、次の三つの言葉の関係を みていきましょう。

TEXT READING (Romans 12:1-8)

1 Therefore, I urge you, brothers and sisters, in view of God’s mercy, to offer your bodies as a living sacrifice, holy and pleasing to God—this is your spiritual act of worship. 2 Do not conform to the pattern of this world, but be transformed by the renewing of your mind. Then you will be able to test and approve what God’s will is—his good, pleasing and perfect will. 3 For by the grace given me I say to every one of you: Do not think of yourself more highly than you ought, but rather think of yourself with sober judgment, in accordance with the faith God has distributed to each of you. 4 For just as each of us has one body with many members, and these members do not all have the same function, 5 so in Christ we, though many, form one body, and each member belongs to all the others. 6 We have different gifts, according to the grace given to each of us. If your gift is prophesying, then prophesy in accordance with your faith; 7 if it is serving, then serve; if it is teaching, then teach; 8 if it is to encourage, then give encouragement; if it is giving, then give generously; if it is to lead, do it diligently; if it is to show mercy, do it cheerfully.

ローマ人への手紙12章
1愛する皆さん。そういうわけですから、あなたがたにお願いします。自分の体を神様にささげてください。それを、神様に喜んでいただける、生きた、きよい供え物としてください。神様がしてくださったことを思えば、これは、決してむりな注文ではないはずです。2世間の人々の生活態度や習慣をまねてはいけません。むしろ、すること考えることすべての面で、生き生きとした、全く新しい別人となりなさい。そうすれば、神の道がどんなに自分を満足させてくれるか、わかるようになります。3私は、神様の使者として、あなたがた一人一人に神様の警告を伝えます。自分を正直に評価しなさい。神様からどれだけの信仰を与えられているかを尺度にして、自分の値打をはかりなさい。4-5私たちの体に多くの器官があるのと同様、キリスト様の体にも、多くの器官があります。私たちはみな、キリスト様の体の各器官です。キリスト様の体が完全になるには、私たちが必要です。というのは、それぞれが異なった役目を果たすからです。ですから、私たちは互いに依存し合っており、だれもが、ほかのすべての人を必要としているのです。6神様は一人一人に、何かすぐれた能力を授けてくださっています。ですから、預言する能力を授かっているなら、できる時にはいつも、神様からのことばを受け取る信仰の力に応じて、できるだけ多くの機会に、預言しなさい。7ほかの人々に仕える能力を授かっているなら、快く仕えなさい。教える立場にあるなら、りっぱに教えなさい。8説教をする人であれば、力強く、また、人の助けとなるように説教しなさい。お金をたくさんいただいているなら、人助けのために、惜しみなく使いなさい。管理者としての能力を与えられ、人々の仕事を監督する立場にあるなら、その責任を誠実に果たしなさい。悲しんでいる者を慰める人は、クリスチャンとして、喜んでそうしなさい。

SERVICE IS A TYPE OF WORSHIP (v.1) 奉仕は礼拝のひとつ

The NIV Study Bible commentary reads, “The word ‘worship’ is understood as ‘obedient service,’ not merely ritual activity, but the involvement of heart, mind, and will.”
NIV(新国際版聖書)の説明ではこうなっています。「礼拝」という言葉は「従順な奉仕」、儀式的な活動のことをささず、「感情や、気持ち、意志が深く関係している奉仕」という風に説明されています。

Furthermore, in some Bible translations like the KJV, the actual word used is “service” instead of “worship.”
KJV欽定訳聖書(きんていやくせいしょ)のような聖書のなかでは、実際に「礼拝」のことを「奉仕」と訳され、記されています。

But the most compelling reason may be that the word in its original Greek can be translated as both “service” and “divine worship.”
しかし、一番有無を言わさない理由は、起源となるギリシャ語の言葉から由来し、ギリシャ語では「奉仕」または「神への礼拝」というように同様に訳されるということでしょう。

Thus, service is worship unto God. Or maybe it’s better to understand that service is a type of worship, an act of devotion to God. 
ですから、奉仕は神への礼拝です。というよりは奉仕は礼拝の一つであり、神への献身の行為だと理解したほうがいいのかもしれません。

SERVICE IS A SPIRITUAL ACT (vv.1-3) 奉仕は霊的な行為

Now, let’s look at the mention that service is a spiritual act of worship.
では、ここで、奉仕は霊的な行為であるということをみていきましょう。

Service should not be seen as some aimless busy work, some meaningless task that needs to get done.
奉仕とは、単に目的のない、忙しい、意味のない、やらなければならないという行為、であるべきではありません。

Nor should it be considered a mere objective, a checklist, or worse, a burden.
しかも、単なる出来事や、する項目の一つ、ましてや、しょうがないからするなんていうものであっては、なりません。
Service is a spiritual act, done unto God so that He might see it as holy and pleasing. 
奉仕は神への霊的な行為で、神はそれを聖い、喜ばしいものと見てくださいます。

When we serve in the context of the church, we should serve with God in mind.
教会で仕える時、神を念頭において仕えるべきです。

We may not mind service when it’s directed toward God.
私たちが神に気持ちを向けている時は、奉仕をしているということなどは気にしていないかもしれません 。
In fact, in certain respects, it may seem easy to serve God, to be involved in service that seems to go directly to his appeal.
実際には、私たちの奉仕の気持ちが神様に一心に向けられているとき、神様に仕えることが簡単に思えるのではないでしょうか?

But what about serving people?
しかし、他の人々に対して奉仕することはどうでしょうか?
People tend to be ungrateful, so serving them could become difficult.
人々は時として、感謝を忘れがちで、ありがたみを忘れてしまい、他人に奉仕することが難しくなります。
Be assured that service to people is also a spiritual act of worship and devotion to God.
しかし、他の人々に奉仕することは神を崇拝する霊的な行為と同じであり、神への献身/信心と同じことだということを確信し、忘れないでください。

Jesus teaches in Matthew 25:40 that whatever service we do unto people, we do unto him.
マタイによる福音書の25章40節では、イエス様はこう言っています。私たちが他の人々にする奉仕は、神様にする奉仕と同じである。と言っています。
Honestly speaking, serving others is not an easy thing.
本当のことを言ってしまえば、他の人々に奉仕したり、助けたりすることは簡単なことではありません。
But God’s encouragement comes in verses 2 and 3 in a timely and appropriate manner, encouraging us to serve with humility.
しかし、ちょうど好都合にも神様からの激励がマタイの福音書2節と3節にこう書かれています。私たちに、へりくだった、謙虚な気持ちを持っていつも奉仕するようにと、激励してくださっているのです。

To not do as the world does by conceitedly placing undue value upon ourselves.
何事も、自己中心や虚栄からすることなく
Instead we are to humble ourselves and consider others better than ourselves as it says in Philippians 2:3. 
そのかわりに、私たちはへりくだって、互いに人を自分よりもすぐれた者と思うべきです。ピリピ人への手紙2章より

If we can place others above ourselves, then we should have no objections about serving them. 
自分よりも人を優先するなら、人に仕えることに何の異議もないはずです。

When we can live with that proper understanding, we can truly honor God in our spiritual act of service to others. 
そのようにきちんと理解して生きるなら、人に仕える霊的な行為によって、神を真にあがめることができるのです。

SERVICE IS A SACRIFICIAL ACT 奉仕は犠牲を伴う行為

Not only is service a spiritual act, it is also a sacrificial act as it says in verse 1.
奉仕とは霊的な行為であるというだけでなく、奉仕は犠牲を伴う行為であると、ローマ人への手紙12章1節に書かれています。
We are to present ourselves wholly and entirely in service to God and others.
私たちは神の喜びが満たされるように、 一致を保ち、心を合わせ、志を一つにして神様と他の人々に奉仕するために存在します。

When we serve, we serve with the understanding that it will indeed cost us our precious resources like time, energy, money, and pretty much our life. 
奉仕をするときは、貴重な時間、活力、お金、生活そのものに負担がかかることを理解して奉仕します。

It’s easier understood when we realize that our service is a sacrifice, an offering, unto the Lord.
もし、わたしたちが、奉仕とは犠牲を払い、神様の前に捧げるという行為であるということに気がつけば、もっと理解を深めることができると思います。

And if we are to offer up service as an act of worship and devotion to God, that service ought to be deserving of Almighty God. 
そして、礼拝の行為、神への献身として奉仕を奉げるなら、その奉仕は全能の神にふさわしいものです。

Something costly and meaningful, not cheap, convenient, and thoughtless.
それは、代償を払わなければならないが、なにか有意義なもので、決して、都合良くできたり、考えなしにできたり、手軽にできたりするものではないということです。
In 2 Samuel 24, we see the story of King David who understood this principle in refusing to offer up sacrificial offering that cost him nothing.
旧約聖書のサムエル記2巻の24章では、ダビデ王はこのように何の意味もなさない、犠牲を払う捧げものを断りました。

In his sacrificial act of service, worship, and devotion, he wanted it to be something that was costly and meaningful.
彼の霊的な奉仕、礼拝、そして信心は犠牲を払う有意義なものにしたいと思っていたからです。

SERVICE HAS MANY FORMS 奉仕にはいろんなはたらきがある

In reading verses 4-8, we find that service has many forms.
ローマ人への手紙12章4節から8節を読んでいくと、奉仕にはいろいろな形態があるということがわかります。
This is one of several places in the New Testament where the church is likened to a body with many different parts and organs, each one useful and important. 新約聖書のなかで書かれているうちのひとつには、こうあります。教会はたくさんの異なった部分や器官からなる一つの体のようであり、その一つ一つは役立ち、重要なのです。

In writing this, the Apostle Paul is intentional in pointing out the importance of each part and its function.
この書の中では、イエスの弟子の一人であったパウロは、その奉仕の一つ一つの役割と働きを次のように取り上げて書いています。

This should be an encouragement to each and every one of us in this room.
これは、今この部屋にいる互いにとって、とても励ましになると思います。

It’s a calling and a commissioning to serve.
それは神様からのお告げであり、神に仕える権限をもらっているということです。
Whatever gift you have been given, whatever talent you possess, whatever you like to do, whatever you’re passionate about, take that and use it to serve God and others. That is our spiritual act of worship. 
与えられた賜物が何であれ、持っている才能が何であれ、好きなことが何であれ、夢中になっていることが何であれ、それを神と人のために用いなさい。それが私たちの霊的な礼拝の行為です。

And know that whatever we do, wherever we serve, each member fulfills an important role.
そして、私たちのどんな行いでも、わたしたちのどんな働きでも、教会の一人一人が大切な役割を果たしているのです。

You don’t have to look too far or too long to find these roles to take on.
このように、自分の役割を探すのに、時間をかけたり、考えすぎたりする必要はありません。
We have a pretty good working model at our church in the form of our various ministries.
わたしたちの教会ではすでに、様々な宣教の為の奉仕活動のよい例がたくさんあり、それが行われています。
And there are many roles yet to be filled.
そして、これからも、他にまだなされていない たくさんの役目/役割があります。
Most of our ministries could use more people and more help right now, ministries like the Sunday School, Youth, and Cleaning really need more willing servants right now.
宣教活動には、もっとたくさんの人々や助けが今現在必要ですし、例えば、日曜学校、ユースグループや一般的な掃除など、よろこんで助けてくれる、もっと たくさんの人々を、私たちの教会は求めています。

It’s important to serve in the capacity of ability and passion, so that God’s gifts and talents to his people could be used properly.
大切なことは、興味や情熱をもって、自分の出来ることや、できる範囲で奉仕するということです。それが、神様のくださった賜物や才能をきちんと使うということにつながります。
But it’s also important to be willing to serve in order to meet pressing needs of the church. 
しかし、一方で、教会の差し迫った必要に応じて仕えることも大切なことです。

For example, your ability and passion may lie in basket weaving, but we don’t have a need for a basket weaving ministry at the moment at MIC.
たとえば、もしあなたの能力や興味が、かご作りだったとしましょう。しかし、今この教会ではあなたのかご作りの才能は必要ではありません。
But we could definitely use more people helping in Sunday School as it gets bigger and the needs of the ministry grows.
でも、日曜学校をみてみると、もっとたくさんの人の助けが必要です。将来的には教会も大きくなればもっと日曜学校も大きく拡大して行かなければなりません。
Does that mean that you, the basket weaver, sit idly by, while the needs in Sunday School go unfilled?
このことは、なにか意味をなしていますでしょうか?かご作りの好きな人に聞きたいと思います。なんとなく かごをつくることと、日曜学校が成長し、もっと助けが必要なときに、思いつくことはありませんか?

We have to understand that there’s something greater than just the individual, something greater than our own personal likes and dislikes that our flesh tries so desperately to create, organize, and preserve.
ここで、考えなければならないことは、個人をみるのではなく、個人的に好きだとか嫌いだとかではなく、もっと大きな枠で考えて、私たち人間の体で作ったり、組織立てたり、維持したりできることを度外視して、考えていきましょうということです。
We’re talking about the church body here, a single functioning unit. We are to function as one group.
私が今言っていることは、この教会の成り立ちです。一つ一つの機能です。そして、その小さな各自の機能が一つの大きな集団となることを言っているのです。
And we should be striving to play our role, side by side with others and their roles, to contribute together toward the common good.
また、自分たちの出来ることや役割を出来る限り努力し、つとめ、各自支え合いながら、みんなの為に互いに貢献しあっていくべきです。
What is that common good, you may ask?
教会のみんなの為になることってなんですか?と疑問に思われるかもしれません。
It’s the health and vitality of God’s church here at MIC and to propagate the vision and the plan that God has given to our church.
それは、ここ箕面国際教会が神様の教会である為の健全な活動源/活動力をもつことです。そして、将来の展望を開き 、神様がこの教会に与えてくださる計画を作っていくことです。
Our service plays a crucial role, the service of each and every individual.
私たちの奉仕はなくてはならない役割を担っています。私たちの奉仕は自他ともに、そして一人一人の人々に役立っています。
CONCLUSION

My prayer is for each and every person in this room to grow in love and devotion to God.
私の祈りは、この部屋の中にいる各人、一人一人が愛を育み成長し、 神様に献身的に信仰を深めることです。
One of the ways that’s going to happen is if we, as individuals coming together as one body, commit to serving God and others as an act of worship and devotion.
これが行われるための一つの方法は、私たち一人一人が、一つに団結し、崇拝と献身的な行為のもとに、神様と他の人に奉仕することを誓うことです。

PRAYER